インドネシア・パプア州アスマットの原始美術(戦闘楯・X159)
世界的に有名な、インドネシア最東端のパプア州(旧イリアンジャヤ州)の南西部アスマット原始美術。その芸術性の高さは、ニューヨークにあるメトロポリタン美術館に「アスマット・コーナー」があることからも窺い知ることができます。プリミティブ・アートは、日本ではまだまだ愛好家そして理解者が少ないのが現状ですが、欧米諸国では、芸術品コレクターにとって『いつの日か、アスマット彫刻を手に入れたい』と、垂涎の的。写真の戦闘楯彫刻は、1987年にアスマットの中心村アガッツ(Agats)南方の村で製作されたものです。一枚の板根から彫り上げたもので、重量はおよそ4.5kg。全長1.59メートル。最大奥行き約8cm(本体の厚みは平均で約2cm)。最大横幅約60cm。特徴は、周囲を覆う透かし彫り彫刻です。極めて珍しいデザインです。時代的に見て、戦闘楯としての機能よりも、美術品としての製作意図が伝わってきます。インドネシア文化宮(GBI)が所有するアスマット戦闘楯の中でも際立つ逸品です。
戦闘楯は、アスマット原始美術の中でも、ビス・ポール(祖霊像)やウラモン(Wuramon=霊魂の舟)彫刻と並ぶ“最高峰”たる存在です。アスマット人の死生観、そして首狩り風習と密接な関係を持つ戦闘楯並びにビス・ポールは、自然死を受け入れない部族社会にあって、死者の仇討ちをするための事前儀式として頻繁に製作された歴史を持ちます。製作はウンブ(儀式・祭り)の同時進行で行われ、時には材料の切り出しから完成まで数ヶ月要することも決して珍しいことではありません。この作品の場合、前面が戦闘楯、そしてその背面に人物像を立体的に彫り込むという、精緻な技術が活かされています。上端に立つ一人の男性像は、この作者がアガッツ村南方のカスアリネン海岸出身者であることを物語っています。この上端の人物像こそ、戦闘楯の“ペニス”と理解されているのです。この“ペニス”部分は、霊力と勇気、豊饒と繁栄を約束するシンボルとして信じられています。
アスマット地方の神話である「フメリピッツ(創造主で“風の人”の意味)」に拠れば、天から地上に降りてきた創造主は、丸太をくり貫いて男女の像を彫った。次に太鼓を作った。トカゲの皮で覆って、太鼓を打ち鳴らすと、その男女の人形は立ち上がり、リズムに合わせて踊り、歌い始めた。そうして人間としてのアスマット人が誕生した、と。つまり、人間は木から生まれたという神話です。「アスマット」とは、地元の言葉で「真実の人間」、「我々は木だ」を意味します。木から生まれたと信じるアスマット人は、死ぬと身内の手で木の彫刻になります。この神話に根ざした風習によって、アスマット地方では、今や世界的なプリミティブ・アートの宝庫と呼ばれるまでに彫刻文化が異常に発達したわけです。
尚、アスマット彫刻に関しては『Asmat Art:Wood Carvings of Southwest New Guinea』(Periplus社刊)、『西イリアン探検(II)』(1980年、日本テレビ発刊・読売新聞社発売・大川誠一著)、『祖像の民族誌』(小林眞著・蹲踞館発行)などを参照してください。宅急便で発送し、送料はこちらで負担いたします。
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