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・2004年アテネオリンピック時にコカコーラ社が配布したピンバッジになります。
『多くの人を虜にする「ピントレーディング」って何?』
シド・マランツにとってのオリンピック・パラリンピック初体験は10歳代の頃、家族と一緒に訪れたローマ1960大会でした。その次に訪れたモントリオール1976大会で、彼は大会の“非公式競技”とも呼ばれる「ピントレーディング」の魅力に目覚めます。
ピントレーディングとは、ある特定のカテゴリーのピンバッジをそのファン同士で交換し合うことです。オリンピックのピンバッジが最初につくられたのは、ギリシャ1896大会。審判、選手、大会役員などを判別する目的で、厚紙で円形のバッジをつくったのが始まりでした。一般客の間でピントレーディングが急速に広まったのは、モスクワ1980大会以降のことです。したがって、マランツが自身のトレーダー人生の初期のころに手に入れたピンバッジは、まだピントレーディングが一般的になる前のもののため、現在は希少なお宝アイテムとなっているのです。
40年を超えるピントレーディング歴を誇るマランツのコレクション総数は、何と1万2,000個以上にのぼるそう。もちろん、今後の大会でもその勢いを緩めるつもりはありません。
マランツにとって、ピントレーディングの醍醐味は交換を通じて希少なピンを獲得したときの達成感です。彼の“狩猟本能”を特にくすぐるのが、各国オリンピック委員会(NOC)のピンバッジ。 NOCピンが配布されるのはその国の代表選手やコーチに限られ、一般への販売は一切していないことから、入手の難易度の高さが想像できるでしょう。
ピントレーディングの大ベテランであるマランツは、過去大会のエピソードにも事欠きません。これまでにピンバッジを交換した相手の中には、なんと、フィンランド大統領やクリントン米国元大統領夫妻もいるというから驚きです。なかなか交換相手に出会えなかったバルセロナ1992大会では、地下鉄駅の構内でやっと見つけたコレクターを必死で追いかけたこともありました。
コレクター魂に火をつけるコカ・コーラ社のピンバッジ
コカ・コーラ社は1998年以来、オリンピック夏季大会・冬季大会の両方で、ピンバッジを交換したい人が集まるピントレーディングセンターを開設しており、マランツはその運営に関わっています。リオデジャネイロ2016大会では、コカ・コーラ社は98種類のピンバッジを作成し、目玉アトラクションとして「ピン・オブ・ザ・デー」プログラムを開催しました。
「ピン・オブ・ザ・デー」とは、リレハンメル1994大会で初めて導入されたプログラムです。大会期間中毎日、コカ・コーラ社が異なるデザインのピンバッジを配布。それらをすべて集めてパズルのように組み合わせると、「コカ・コーラ」ボトルの形になる、というものです。
ちなみにマランツは、大会中にスポーツ競技も観戦するのでしょうか? 尋ねてみると、「毎回、競技を観戦する時間も確保していますよ。ピントレーディングの素晴らしい点の一つは、競技の観客席でも、ピントレーディングセンターでも、会場やその周辺ならどこでもピンバッジを交換できるチャンスがあることです」という答えが返ってきました。
他にもバッジやメダル 、勲章など様々な物を出品しております。
よろしければご覧ください。
宜しくお願い致します。